乱歩の短編小説のイメージ
うつし世はゆめ よるの夢こそまこと
乱歩がよく言ってる言葉なんだけど、彼の小説は本当に夢と現が真反対になっていて、レンズの中の世界っていうか不思議な錯覚の中に居る感じがします。
本編では、人形は小さい女の子くらいの大きさで島田結いして友禅染の着物を着ている
昔からずっと門野が大事にしていて、自作自演で女児の声を出して楽しんでるちょっと頭がおかしい人
妻までめとったのに生身の人間より、どうしてもやめられない人形への執着心からの愛がすごく退廃的で良い。自分でも人形を愛することはいけないことだと後ろめたく思っているあたり、門野の儚さが一層表現されていて良い。
美青年でこんな倒錯的な部分が隠れてるところも、為すべくして成ったわけではない裏がある。最初妻は女性の声だと本当に錯覚していたから線が細い弱気な青年。
乱歩作品の中でも有名な人形愛を題材にした小説で、乱歩本人も子供のころから人形が好きだったらしい
人形は人間の生き写し、死んだ人間にも似てるらしい
五体ばらばらにされて人形にも死が来たら、情死するみたいに自分にも死を与える
何度読んでも面白い作品
門野自身の目線からも描いてほしかった。もっと二人の会話が欲しかった‥幼少期に何かがあって人形遊びにかこつけた人格障害を患ったとしか思えない
写真に関しては、ほんとうは、人形も自分でしようと思って撮ったんだけど、顔入れ替えたら不気味すぎて目だけ入れ替えた。目に生気がちょっとあると生きているような感じが出せて怪奇的になった。
写真のような表現は作中では描かれていなくて、人形をばらばらにされた門野がどんな気持ちでどんな表情だったのか、妻の京子が覗きに行くまで何をしていたか明かされてない。
神経質だから泣いていただろうし、何度も人形の四肢とか撫でていただろうし、人生をささげた恋人なんだから自分も死のうって考えるのは当たり前なんだろうなあと思う。
生首を愛でるってなんかオスカー・ワイルドのサロメが預言者の生首にキスするのと類似している気がする。あれは憎悪しかないけど。人形も身体全部撮ったら、七つのヴェールの踊りみたいに、白いヴェールで作った服が良い。また撮ることがあったらやってみたい
同じ年に『押絵~』『蟲』『孤島の鬼』があるんだけど全部写真撮ってみたい。
まぁ‥全部一人だけど‥
好きな部分 光文社の全集3巻P197から
「あの京子を愛しようと努めたのだけれど、悲しことには、それがやっぱり駄目なのだ。若いときから馴染を重ねたお前のことが、どう思い返しても、思い返しても、私にはあきらめ兼ねるのだ。京子にはお詫のしようもないほど済まぬことだけれど、済まない済まないと思いながら、やっぱり、私はこうして、夜毎にお前の顔を見ないではいられぬのだ。どうか私の切ない心の内を察しておくれ」
「嬉しうございます。あなたの様な美しい方に、あの御立派な奥様をさし置いて、それほどに思って頂くとは、私はまあ、何という果報者でしょう。嬉しうございますわ」
人でなしの恋、この世の外の恋でございます。その様な恋をするものは、一方では、生きた人間では味わうことの出来ない、悪夢の様な、或は又お伽噺の様な、不可思議な歓楽に魂をしびらせながら、しかし又一方では、絶え間なき罪の苛責に責められて、どうかしてその地獄を逃れたいと、あせりもがくのでございます。門野が、私を娶ったのも、無我夢中に私を愛しようと努めたのも、皆そのはかない苦悶の跡に過ぎぬのではございませんか。
私に叩きひしがれて、半ば残った人形の唇から、さも人形自身が血を吐いたかの様に、血潮の飛沫が一しずく、その首を抱いた夫の腕の上へタラリと垂れて、そして人形は、断末魔の不気味な笑いを笑っているのでございました。